七夕という節句の由来とは?2025年の開催日や行事内容を読み解く

七夕は、星に願いを託す日として日本各地で親しまれているイベントです。

「星祭り」と呼ばれることもあり、竹笹に色とりどりの短冊や飾りを吊るし、願いごとをする風習が広がっています。

この行事は子どもから大人まで多くの人々が楽しむ、日本の夏の風物詩のひとつです。

そもそも七夕の起源は、かつて宮中で行われていた「七夕の節句」という行事に端を発しています。

では、どのようにしてこの宮中行事が一般社会へと広まり、現在のような形で親しまれるようになったのでしょうか。

実は七夕には、行事食や笹に短冊を飾る意味など、あまり知られていない興味深い背景があります。

本記事では、七夕の風習、歴史、食文化などについて詳しく紹介していきます。

七夕の由来と意味

「七夕の節句」は「しちせき」とも呼ばれ、中国から伝わった「乞巧奠(きこうでん)」という儀式がもとになっています。

これは旧暦の7月7日に、織姫と彦星が天の川で年に一度だけ出会うというロマンチックな伝承に基づいています。

この物語は中国から伝わり、彦星は農業、織姫は裁縫や機織りを象徴する存在であり、特に女性が技芸の上達を祈る行事として広まりました。

日本には奈良時代に伝わり、宮中行事として定着すると同時に、日本古来の「棚機(たなばた)」という信仰行事と融合しました。

棚機では、若い女性が7月7日に特別な小屋に籠もって、神に奉納する衣を織るという儀式が行われていたのです。

こうして中国と日本の文化が交わり、「しちせき」として定着した後、「たなばた」と呼ばれるようになり、日本独自の七夕行事へと変化していきました。

このような流れから、現在の七夕の風習が形作られていったのです。

七夕と五節句の関わり

七夕は、季節の区切りで行われる神事を含む「五節句」の一つとして数えられています。

五節句とは、季節が移り変わるタイミングに合わせて、邪気を払ったり、健康や豊作を願ったりする行事です。

この風習は古代中国から伝わり、陰陽五行思想が土台となっています。

陰陽五行説では、森羅万象を陰と陽、さらに木・火・土・金・水の五要素に分類し、奇数を陽(良い運気)、偶数を陰(邪気が増す)と見なしていました。

陽の数字が重なる日は邪気が強まるとされ、これを払うために特定の日に祭りや儀式を行ったのが五節句の始まりです。

具体的には、1月7日(人日)、3月3日(上巳)、5月5日(端午)、7月7日(七夕)、9月9日(重陽)が該当します。

これらの日は、年の初めを除けば、それぞれ独自の風習が受け継がれています。

例えば、人日には七草粥をいただき、上巳はひな祭り、端午は子どもの日として盛大に祝われ、七夕は短冊に願い事を書いて飾る行事として親しまれています。

2025年の七夕はいつなのか?

2025年の七夕は「新暦の7月7日(日曜日)」に行われる予定です。

一般的にはこの日が「七夕」とされていますが、一部の地域では旧暦を重んじるところもあり、その場合、日付は毎年変動します。

旧暦の「7月7日」は現在のカレンダーでは概ね「8月」に相当します。

国立天文台では、この時期を「伝統的七夕」と呼んでおり、昔の日本ではこの日を七夕とし、その8日後(旧暦7月15日)がちょうど満月となり、お盆を迎える日とされていました。

七夕はお盆を迎える準備期間としての意味合いもあり、先祖の霊を迎えるために心身を清める禊(みそぎ)という儀式の一環でもありました。

明治時代にグレゴリオ暦が導入されて以降、七夕とお盆の関わりは次第に薄れましたが、たとえば仙台の七夕まつりは今も8月に盛大に行われています。

なお、2024年の旧暦7月7日を現在の暦で換算すると、8月22日になります。

七夕と食文化:行事食について

七夕の代表的な食べ物といえば、そうめんが有名なのではないでしょうか。

この風習は、中国の古い祭礼「乞巧奠(きこうでん)」に由来するとも言われています。

この祭りは、織姫の裁縫や織物の技にあやかって、女性たちが技術向上を願った行事でした。

その儀式で供えられていたのが、「索餅(さくべい)」という縄状の食べ物です。

索餅は、小麦粉と米粉を混ぜて練り、縄のように編んでから揚げて作るもので、乾燥させて保存し、食べる際には茹でて味付けをして食べることが多かったようです。

これがやがて日本でお馴染みの食べ物であるそうめんの元になったと言われています。

そうめんは夏の暑い時期にも食べやすく、暑気払いとしても人気があります。

また、夏の収穫への感謝や健康祈願の意味も込められており、七夕の食文化として根付いてきたのです。

地域ごとに異なる七夕の風習について

七夕においては、短冊に願いごとを書いて笹に飾ったり、そうめんを食べたりするのが一般的ですが、地方によってはさまざまなユニークな風習が存在します。

たとえば、北海道では「ろうそくもらい」という独特の行事が根付いています。

この行事は、7月7日あるいは8月7日になると、浴衣姿の子どもたちが近所の家々を訪ね歩き、「ろーそくだーせーだーせーよー だーさないとひっかくぞー おまけにかっちゃくぞー」といった歌を歌いながら、ろうそくやお菓子をもらうというものです(歌の歌詞は地域ごとに少しずつ異なることがあります)。

子どもたちは夕方から夜にかけて、この行事を楽しみ、たくさんのお菓子を袋に詰め込んで持ち帰ります。

七夕が近づくと、北海道のスーパーにはこの時期に合わせて袋入りのお菓子が豊富に並びます。

お菓子の用意がない家庭では、代わりに少額のお小遣いを渡す場合もあるようです。

この「ろうそくもらい」の風習は、青森県の「ねぷた祭り」から伝わったとされます。

ねぷた祭りでは、灯りに使うろうそくを子どもたちが各家を回って集める習慣があり、それが北海道の七夕に影響を与えたと考えられています。

こうして、それぞれの地域に合った文化が育まれていったのです。

短冊を笹に飾る習わしのルーツ

七夕で短冊を笹に吊るすという風習は、中国の乞巧奠という行事が元となっています。

もともとは織姫にあやかって、機織りや裁縫の上達を祈るために行われていました。

これが日本に伝わったのは平安時代ですが、その当時はまだ短冊に願いごとを書くという形ではありませんでした。

やがて室町時代になると、この行事が進化し、梶の葉に和歌を書き結びつけることで、芸事の向上を願う習わしが生まれました。

江戸時代になると、七夕の節句が庶民の間にも広まり、短冊にさまざまな願いを書いて竹笹に吊るすという現在のスタイルが確立しました。

笹に短冊を飾るようになった背景には、笹が古くから邪気を払う力を持つと信じられていたことがあり、神事にも使われていたためです。

七夕では、神聖な棚に供え物を置き、その両脇に笹を立てて、心身を清める意味合いがありました。

こうした由来を持つ七夕の風習は、長い年月を経てもなお、大切に受け継がれています。

有名な七夕のお祭りとその魅力

七夕の季節になると、全国各地で多彩な七夕イベントが催されます。

その中でも特に有名なのが、宮城県仙台市で行われる「仙台七夕まつり」です。

このお祭りは、日本三大七夕祭りのひとつに数えられ、伊達政宗の時代から続くとされる歴史ある行事で、400年以上の伝統を誇ります。

毎年およそ200万人もの観光客が訪れると言われており、その賑わいは圧巻です。

祭りの見どころは、長さが10メートルを超える大きな笹飾りです。動物やボール、キャラクターなどをモチーフにした装飾が吹き流しと共にデザインされ、仙台駅周辺や商店街のアーケードを華やかに彩ります。

神奈川県平塚市では、「湘南ひらつか七夕まつり」が開催され、こちらも大きな七夕飾りが見どころです。

この祭りでは昼間にパレードが行われ、夜になると街全体が美しくライトアップされます。

その規模と華やかさから、「関東三大七夕祭り」の一つとして知られています。

さらに、京都府京都市でも「京の七夕」という比較的新しいイベントがあります。

この祭りは2010年に始まり、鴨川沿いや二条城といった観光名所を会場に、竹に結ばれた短冊が並びます。

夜には幻想的なライトアップが施され、夏の京都を彩る風物詩として親しまれています。

まとめ

今回は、七夕の風習、歴史、食文化などについてまとめました。

七夕(しちせき)の節句は、7月7日に季節の移ろいを感じながら行う神事の一つです。

この行事は、全国各地で親しまれる七夕(たなばた)の祭りのルーツとされています。

この日には短冊に願い事を書き、竹や笹に吊るす「笹飾り」の習慣があります。

また、暑さを和らげる食べ物として、そうめんを食べる風習もあります。さっぱりとした味わいが夏の行事にぴったりとされています。

今年の七夕は、夜空を見上げて星に願いを託してみてはいかがでしょうか。

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